「才能ある人はいいよね」という呪い
こんにちは!あみまるです!
今回、【自戒の意を込めて「才能ある人はいいよね」というフレーズについて考える】という内容です。
【目次】
「才能ある人はいいよね」の意味は?
私がそう思ってしまう時の意味合いは、「元からそういう人だから苦労もなくできるんだよね。私には無理。うらやまし。」です。
やな奴です。
ちなみに結構頻繁に思ってしまいます。
とてもやな奴ですね。
「あの人は才能があるからできるんだよね、私には才能がないから努力しても無理」
これは、自分の評価を自分で下げてしまうし、努力をしない理由を作って努力しなくなります。
「あれ」がないからできない、は自分が努力をしない理由を正当化する魔の言葉です。
自分の思う才能ある人は、自分よりも絶対努力してる
自分が羨んでるその人は、自分よりも優れた部分があったかもしれない。
けど、それだけでは説明できないほどの努力や工夫を重ねている。
モデルさんは食事制限や美容研究をしてるし、ビジネスで上手くいっていると言われている人々は常に情報を仕入れ、情報を発信し、スキルを磨き続けています。
「〜ある人はいいよね」と思ってしまったときに、「その人と比べて自分は何をした?」と自分に聞いてみると、冷静に自分の努力不足に目を向けることができる…かも。
それでも思ってしまう「才能ある人はいいよね」
それでもどうしても思ってしまうんです。
気持ちわかってもらえるでしょうか…?
どういうときに私の場合はそう思うかを考えてみたところ、
・自分がうまくいってない時
・その羨んでいる人が自分の望むものを持っている時
でした。
まずは、「こうなったら思ってしまう」というタイミングを把握しておいて、そういうタイミングを作らないようにしていきます。
気をつけます、みんなで気をつけてこ
「才能ある人はいいよね」というフレーズは、努力しない自分を正当化して、努力せず現状を変えず、自分が上手くいかない理由は才能がないからだと責任転嫁してしまう魔の言葉です。
思っちゃうけど、思ってもいいことないので、そう思わない自分になるように日々精進していきたいとこの文章を書いて改めて思いました。
お読みいただきましてありがとうございました!
好きです!
読書ができるようになってきた
こんにちは!あみまるです!
今回は【だいぶ読書ができるようになってきたので、私なりのやり方をお伝えしてみるよ】という内容です。
読書に苦手意識がある方に、役立てるかもしれない内容です。
【目次】
私の読書苦手度
2019年ぐらいの1年の目標に「読書するときに「うっ…」と抵抗の気持ちが出ないようになる」というのを書くぐらい、読書に対して苦手イメージが強かったです。
とりあえず、興味を持つことができるものを読もう!と一念発起して2019年は25冊本を読みましたが、まだ読書への苦手イメージがなくなることはなく…
2020年はきちんと目標を立てなかったので13冊しか読めませんでした。
現状2021年は、16冊読書をしています。
そして最近ようやく「あ、読書への苦手イメージ薄まったかも…」と感じることができたので、どうやってその気持ちになったかをまとめます。
「読書しよう」と思わない、目的を決める
当たり前のことかもしれませんが、読書は「何かを学ぶためにするもの」です。
(小説などは、ストーリーを楽しむという要素もありますね)
読書は「読書をすること」がゴールではありません。
私の場合、経営の大学院を受験することを決めたので、勉強しないと合格できません。
「大学院に合格する」という目的と、受験日という期限を設けました。
「読書するぞー!」と思わなくても読書するのが普通になる条件を揃えました。
(もちろん、読書を習慣化するためだけに大学院を受験したわけではありません。笑)
簡単にまとめたものから読む
「マンガでわかる!」や「〜〜をまとめてみた」という本がたくさんありますよね?
自分のテーマに合った、もしくは興味の持つことができる内容で、まずこれから読む。
概要を捉えて、「こういうもんね、なるほど」という感覚を得て、自分の頭の中にそのテーマに関する下地を作るイメージです。
ここのタイミングで「1回で絶対理解するぞ!」というように気合い入れすぎると挫折します。←ソースは私。
次にもう一度同じ本を読んでみます。
すると、下地が強化されて、「あ、これあれや!わかるー!」という部分が出てきます。
これがちっちゃな快感になって、本が読みやすくなってきます。
あと、「あ、これはあの本に関係しそうかも」と日常生活にリンクできたりすることもあります。
読む回数が増えれば増えるほど、強固になっていきます。
さらにもう少しステップアップできそうであれば、最初に読んだ本の原書や、詳細が記載された本に挑戦します。
私は簡単にまとめられた経営学の本を数冊2回読んだ後に『世界標準の経営理論』(入山章栄光:著)を読みました。
832ページあるので、導入書を読む前は「こんな分厚い本、私にはむりや…」と思ってましたが、読んでみたらなんとか読めました。
理解するにはもちろん何度も繰り返すことと他の学習が必要になってきますが、「こんな本読めたんやったらどんな本でも読める!」と自信がついたのがよかったです。
読書記録をつける
私は「ブクログ」というアプリで読書記録をつけています。
感想を細かく書いたりしないのですが、「私はこんなに本を読んだんや!」という実感を自分に持たせるために記録してます。
これが個人的には、「読めば読むほど記録の数字が上がっていく」という状態がゲームをする感覚に近いことで、面白くなって、読書へのストレスが軽減されました。
読書の目的は無視した方法のような気もしますが、これはこれでありかと。笑
最後に:「読書」はmustか?
こんだけ「読書するには」について書いてきましたが、本当に読書は必要でしょうか?
私は読書したほうがいろんなことが学べて、実生活に役立つことが実感できたので、やったほうがいいことあるなぁと思ってます。
しかし、「絶対にすべきだ!」とは思いません。
「読書をしないと」とある種の脅迫観念に襲われるぐらいならやらなくていいと思います。
(私はこれで苦しんだことがあります)
そういう場合は、読書じゃなくても興味あることやって今現在が楽しめることの方が大事だと思います。
また、読書以外に「これやってるとき最高!これもっと上手くなりたい!」というものがあればそれに時間とお金集中した方が人生楽しめると思います。
無理に、ではなくなんとなく読書してみよかな〜という気持ちになったときに、参考にしていただければ嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました!
好きです!
この1年を整理し、今後を妄想してみる。
こんにちは!あみまるです!
今回は、はてなブログさんのテーマ「この1年の変化」に沿って、【私のこの1年を整理して、今後を妄想してみるよ】という内容です。
【目次】
この1年で始めたこと
実は私、この1年はとてつもなく変化に富んだ1年でございまして…
一挙羅列してみますと、
・前職退職
・はじめての職なし期間
→確定申告、国保、年金、住民税etc.の手続きの仕方や仕組みがとても勉強になりました。
・引っ越し
・はてなブログ開設
・このブログとは別のところでYouTube開設
・このブログとは別のところで各種SNSの運用開始
・SNS研究開始(資格取得、関連書籍による学び)
・独立、副業について学び始めた
・MBA受験して合格したので4月から大学院生
という感じで、個人的にはコンテンツモリモリな1年でした。
この1年の気持ちの変化
コロナで体感として「先延ばしにしたことができなくなる世界が突然来る」ということを学びました。
2年前の私は、
「あそこ行きたいけど、とりあえずお金もうちょい貯まってからかな」
「勉強してからじゃないとできないから、あれするのやめとこ」
なんてことはザラにありました。ザラにどころかほとんどそう。
それがコロナがきて。
「お金貯めてから」、「勉強してから」なんかいう前に、「本当にできない」という現実がやってきました。
まだまだコロナ禍ではありますが、感染者数が減ったり、ワクチンがつくられたりで少しは落ち着いてきたので、また挑戦はできそうです。
が、一度目の前から選択肢が消え去った2020年に、「〜してから」なんて甘っちょろいこと考えてたら本当に挑戦することさえできない日がくるんだなと骨身に染みて思いました。
次の1年どうするか
はじめたことが結構継続してるので、まずそれらをきちんとすること。
そもそも、大学院はこの4月からですしね。笑
ここに書いたら長くなっちゃうので、すでに妄想しているやりたいことたちがたくさんあるので、実行していきます。
「〜してから」という長期目線ではなく、
「今実現する方法を模索する」 という考え方でまいりたいと思います。
選択肢を失って、後悔しないように。
お読みいただきましてありがとうございました!
好きです!
「あいさつ」の素敵さを改めて考える
こんにちは!あみまるです!
今回は、【当たり前すぎる当たり前になっている「あいさつ」について今一度考える】という内容です。
【目次】
あいさつとはなにか
みなさんあいさつしてますか?
私はすごく大事にしているのですが、当たり前すぎて何も考えずあいさつをしてるなとふと思ったので、改めて考えてみます。
あいさつとは、
新たに顔を合わせた際や別れ際に行われる、礼儀として行われる定型的な言葉や動作のことを指す。 (Wikipedia参照)
だそうです。なるほど。
上記の意味に私的解釈を加えると、
・人の気持ちをあったかくできるもの
・人との信頼関係を築くはじめの一歩
です。
ハローワークの駐車場整備の方のあいさつが好き
時々伺うハローワークの駐車場整備の方は数人おられるのですが、いつもすごく元気に声をかけてくださる方がおられます。
「こんにちは!」
「おー、お疲れさん!気つけて帰りやー!」
その方がすごく元気に声をかけてくださるので、私もつい元気に返しちゃいます。
その方の名前も何も知らないですが、行く度に「今日はあのおじさんいないかな〜」と期待してしまいます。
さらに勝手に思ってることですが、もしあのおじさんが困ってたら普通に助けたいな〜とか思っちゃってます。
もしかしたら私だけかもしれませんが、これってすごくないですか?
損得感情とかでも、知り合いとかでもないけど、助けたいなって気持ちになったのは、おじさんの素敵な挨拶があったからこそです。
あいさつする!
あんなハッピーな気持ちにしてくれるおじさんのあいさつを受けて、改めてあいさつって素敵だな、大事だなと思いました。
あんなハッピーな気持ちにできるようなあいさつが自然にできるようになっていきたいなぁと改めて思いました。
お読みいただきありがとうございました!
好きです!
ほら、やっぱ書かなくなったやん。。。【反省】
こんにちは!あみまるです!
今日は、
【やっぱりブログが続かんかった(前回投稿20日前)から、反省とこれからを考えるよ!】
というテーマでお届けします。
【目次】
なんで続かんかったん?
考えられる原因は3点。
▶︎目的、価値に囚われすぎた
私は、ブログの書き方やブログ発信で生計を立てている方のブログやメルマガ、LINE公式など、覚えているだけで6人の方のものを登録して読みました。
多くの方が
「テーマ性、読んでくれる方に対してお届けする価値が大事だから、そこはよく考えて決めて発信しよう」
「自分が詳しくて、情熱が持つことができる分野を決めよう」
と書いておられます。
全くもってその通りで、私自身、結局そういう方のブログやメルマガしか継続して読んでいないのですが…
それがとってもムズカシイ。。。
この後の原因にも出てきますが、私は今までの人生の中で情熱を持って何かに取り組んだ思い出がありません。
「私の価値って…」と真剣に悩み考えるタイプです。
めんどくさいやつですね。笑
そういう私が「こんなん書いてもな…」「人様に読んでいただけるような価値のある文章をお届けできるのだろうか」という迷いに溺れた結果、
「もういったん書かんでいいや…」
となって書かなくなりました。
▶︎仕組みの問題
これは仕事でもなんでもそうだと思うのですが、「やることリストの作成」だけではやろうと思ったことはできません。
…とわかっているのに!
どういうスケジュールで、具体的にどうやって文章を作っていくかなど、を決めていなかったんですね。
「まぁ締め切りがあるもんでもないし、やることもわかってるから、適当にやっていけるでしょ」
という甘ったるい考えでした。
▶︎性質の問題
私は、【そもそもめんどくさがり】なため【継続苦手マン】です。
さらに【情熱薄いマン】です。
【私ってなんでこんなんなんだろう】と真剣に悩むタイプです。
上ふたつをより引き起こしてしまう要因はここにあると思います。
これから
上記3点を踏まえた上で、
・とりあえず書きたい事を書く
・「書く」行為を最優先
・テーマは改めて【私が気になったこと】と広くゆるく設定
・【継続苦手マン】を継続させるための仕組みづくり
に取り組んでいきます。
一番のまずはじめの目標は「継続して発信する人間になること」です。
気持ちまとめ
これからは、私が「書いてみたいな〜」というやんわりした気持ちから始めて、このブログがどんな風に変化していくのかを見届けていただければ嬉しいです。
「これがめちゃくちゃ好きで広げたい」「私の信念はこれやねん」というものがなくても文章発信は始めても大丈夫なんだ、ということを体現できればなぁとぼんやり思います。
(※情熱を持って発信することはすこぶる大事だと思っていて、それを体現している人はすごくかっこいいし好きです。憧れます。)
(※なんだけど、いくら自己分析や自己啓発や自分発見や…とやれどもやれどもなかなか情熱が出てこないことに苦しんでいる人が、私みたいにいたとしたら、「こんな風にもできるんだ!」みたいな明るい気持ちがミリ単位でも起こるようなブログができたらなぁと思っています。)
追伸:
今回、【なんの制約もなく、自分の今考えていることを整理して表に出すだけ】という感じで文章を書きましたが、書き終えた今はスッキリしてます。
アウトプット大事。
お読みいただきありがとうございました!
好きです!
購入基準が「安くないと買わない」だけだと、心が疲弊する。
こんにちは!アラサー関西女子のあみまるです。
今日は、改めて「安さ」というものについて考えてみる。
安さは正義!なんだけど…
私、安いもの大好きです。プチプラ最高。
だって、たくさんのもの買えるし、買ってもお金手元に残るもん。
でも高級品を身近に買ってる人とか見ると思っちゃうんだよね、
「高級品ばっか買ってよくそんなにお金あるね」
完全に嫌なやつですね。笑
これは、「安さ」や「高さ」に問題があるのではなく、完全に私の考え方のステップと捉え方に問題があります。
それを紐解いてみると…
あみまるの買い物時の考え方の流れ
特に欲しいものを確定せずに行った場合、
「これ欲しいな」→「値段確認」→この後…
①「安い!買っちゃお!」
②「高い!買わんとこ」
という2通りの結末があります。
どちらの選択肢にも間違いはありませんが、あまりに②を続けすぎると、小さなストレスや不満のチリが心にどんどん溜まります。
「好きなものが安い」と「安いものしか買わない」には雲泥の差があるのです。
こういう考え方は浪費をしないためにも大事なんですが、こればっかりに偏るのは良くない。
なぜなら、「社会常識は全人類は安いものしか買わないという価値観である」という錯覚に陥ってしまうから。(ソースは私)
この感覚に陥ってしまうと、何か自分で販売したりする時に
「とにかく安くしなきゃ」
という呪縛に囚われます。
そして今度はずっと安いものしか買わなかった経験により、「高いものには価値がある」という価値観が強烈に染み込みます。
その結果、自分で販売するものに安い値段を付けた時にこうも思ってしまうのです。
「あぁ、自分の販売するものって価値ないんだなぁ」
まとめると
あんまり買い物の時に「安さ」だけ重視すると気持ちが沈むよ、というお話でした。
さらに「価値ってなんだろう?」という投げかけをする内容でもありました。
きっと「安さ」「高さ」だけではないはずだし、もっと本質的なもののはずなんだよなぁ…
みなさんのお答え、教えてください^^
追伸:
そんなこと考えとらんとポジティブに動けよ!と思われるかもしれませんが、日常でこんなことを考えてしまう性分です。笑
お読みいただきありがとうございました!
「なんとなく」ってダメなんかな?
こんにちは!アラサー関西女子のあみまるです。
今日は「なんとなく」という感覚についての今のところのあみまる持論をお届け。
「なんとなく」は悪なのか?
「私は〇〇のときに□□と思い、△△をして、人生をかけて世の中を変えていこうと決めたのです。」
というお話をいろんなところで聞きます。
私はこういうお話がスキで、こういう話ができる人はめちゃかっこいいです。
憧れます。スキです。
だけど、世の中が「こういう人だけが正解!絶対正解!」という認識で、「なんとなくっていう人のはダメ」という世の中だと、苦しいなぁと思ってしまうのです。
自分がまさしくそうだから。
「なんとなく」もいいとこはある。悪じゃないと思う。
私は27年間生きてきてこの方、情熱の真っ赤な薔薇(熱狂した何か)を胸に咲かせたことはありません。
(『情熱の薔薇』THE BLUE HEARTSさんより。誰かツッコんで)
抽象的なので、もっと具体的にいうと
【「自分の考えはこうだ!こうしたいんだ!だからこうするんだ!」と心から思って何かをやり遂げること】
をしたことがありません。
新卒で入った会社もなんとなく、前の会社も流れに身を任せたから、このブログもなんとなく。
ずっこけたり、ずるむけたりしたこともあったけど、それよりも勉強になったことや嬉しかったことの方がたくさんあった。
それは、「なんとなく」でも入ったり開始したりしたからこそ手に入れた体験で、それがあったからこそ今の私がおると思うんです。
「ちゃんと理由や熱い気持ちがないから、始められへんわ…」
ということで始めなければ、なーんも起こらんかったんですよね。
「なんとなく」のおかげ、と言える日まで
「なんとなく」しか選択できなかった私の人生満足度は、正直、現在満点ではありません。
自分の天職というか、使命というか、そういうものが見えて信じることができる人が心底うらやましいです。
明らかにキラキラしてる人、多いもん。
(こういう方達が一概に100%本当に幸せかどうかは一旦置いておいて)
けど、もしここから私が、いい感じに人生満足度を上げることができれば、
「熱狂できるものがどうしても見つからない人」
「どうしてもなんとなくしかできない人」
に少しだけでも明るい気持ちをお届けできるんじゃないかな、と思った今日このごろ。
少しでもいい感じにできるように、がんばってこ。
となんだかんだ書きましたが、「なんとなく」でも楽しく生きてけるよーっていうのを伝えたい&これから証明していきたい、というお話でした。
お読みいただきありがとうございました!